丹羽昭男師
「神への感謝」
第一テサロニケ人への手紙1章1-3節
メッセージより
「本日からテサロニケ人への手紙に入ります
この手紙は、主イエスが再臨されるとき、
わたしたちはどのようにしてお迎えしたら良いか―、
という内容が書かれた手紙だと言われています」
週報より抜粋
[1]差出人と受取人 :3
(1)差出人
この手紙を書いている人は、パウロである
そして、その横にシルワノがいた
また、テモテもいた
三人が祈りつつ心を合わせてこの手紙を書いた
(2)受取人
この手紙を受け取るのは、テサロニケ教会の信者たちであった
彼らはテサロニケという町に住んでいて、神の教会の者たちであった
[2]神への感謝 :2
(1)祈りのなかで覚え
パウロの毎日に祈りのなかにテサロニケ教会の一人ひとりの名前があった
この祈りによって、一人ひとりは信仰に生かされていた
(2)感謝と祈り
パウロは、この教会の一人ひとりのために祈り出すとき、彼らがクリスチャンとして素晴らしく生きていたので感謝にあふれてきた
(3)あなたがた一同
テサロニケ教会は、全員が恵まれて奉仕に励んでいた
(4)いつも
しかも、この教会の一人ひとりはいつも恵まれていた
恵めれ続けていた
なんと、素晴らしいことであろうか!
[3]信仰・愛・希望 :3
(1)信仰
みことばを信じてそれに従って生きていた
(2)愛
キリストの愛に満たされて生きていた
(3)希望
キリストが再臨される
そのとき復活の体が与えられる
その希望に輝いて生きていた
聖別会 信徒証し
★ますみさん
35歳になる娘が、このたびアメリカの神学校の三年生に進みます。そして、ボランティアや仕事で今月末からのノルウェーにはじまり様々な国へ行くそうです。そうなるとあまり電話が通じなくなるので「お母さん、大丈夫?」と言って私を心配し、最近では毎日のように電話をしてきます。
それも、主人が亡くなったとき、娘は同じように様々な国をまわっていたので、私はどこへ連絡をして良いか分からずに大変困ってしまいました。そんなことがあって、娘は一人になった私を余計に心配しているようです。
そんな娘も、生まれるときは私が高齢出産でしたので、夫婦共々
大変心配しました。当時の高齢出産は、障害児が生れやすといわれていた時代でしたから、特に主人は嫌がりました。
しかし、娘は無事に生まれてきてくれました。主人も生涯可愛がってくれました。
娘にこれまで健康が与えられ人並みに成長し今あることを、
心から感謝しています。
皆様には、娘のさらなる健康と働きとをお祈り願います。
★ひろこさん
何週か前のことですが、「カルバリ山の十字架」を賛美していたら
涙が止まらなくなりました。
詩の意味が我が身に降り注いでくるようで、その時、本当に
「イエス様は私のために死んでくださった」ということが確信できたと思います。
いつも、「聖霊様はどのようにして、私のところにきて下さるのだろう?」 と思っていましたが、そのとき初めて「聖霊様」を感じることができました。
今日も、聖別会で「カルバリ山の十字架」を賛美しながら、
「イエス様は私のために…」ということを強く感じました。
新聖歌112 カルバリ山の十字架
★てるこさん
連合女性会一日研修会で斉藤先生が、
「車の中で手を上げて、声いっぱいに『ハレルヤ!』と言った」
というお証しを聞いて、あることを思い出しました。
私は主人を早くに亡くしましたので、一人では思うように問題が解決できないことがしばしばありました。今では、それらを乗り越え歳もとり、役に立たない者になりました。
けれど、元気いっぱいの頃、問題を家で言うと更に大変な問題になりますので、心の内におさめようとしましたが、どうにもおさまらない程に心の中がかく乱してきたある時、ちょうど車で出かける用事があって、カンカンになった頭で車に乗り込みました。
でも、どうも人間では始末がつかないような感じがありました。
車を走り出させたときに、なんと素晴らしい!声いっぱいの賛美が出てきました。
「祈れ物事 みなままならず
胸に憂いの 雲閉ざすとき
祈れよし道は 暗くあるとも
祈れすべてを 主の手にゆだねて」
その後、もう素晴らしい喜びに変えられて、車の中でも用事を済ませる間も、心いっぱい感謝したことを、思い出しました。
車の中で誰も居ない一人ぼっちになって、主と直接交わるときに
素晴らしい恵みに与ること再び思い出すことができたことを、皆様の前で感謝してお証しさせていただきました。
新聖歌196 祈れ物事
★ともこさん
先日の連合女性会一日研修会終了後、「良い研修会でしたね」という参加者のみなさんからお声をたくさん耳にしました。斉藤先生の主題講演の内容はもちろんのこと、開会・閉会礼拝での大山先生、美香先生のメッセージも大変素晴らしく恵まれました。
斉藤先生は、「聖霊の満たしへの道筋」という題で、様々な聖霊様のお働きについて具体的に語ってくださいましたが、「どうしたら聖霊様が自分の血となり肉となり、実際に働いて下さるか?」を導かれるなかで、「絶えず祈りに専念するように」とのお言葉がありました。
斉藤先生は、車の中でも大きな声でお祈りし、時に「ハレルヤ!」と両手を上げられるというエピソードもうかがいましたが、たまたま私は、ひざまずき手を固く合わせてずっと祈られている講演前の先生のお姿を目にしました。あのような大きな器の方が、身を小さくして周囲のことも気にせず懸命に祈られている姿を見て衝撃を受けました。神様から大いに用いられている方は、それだけの祈りをきっと必要とされるのだろうと感じつつ、そのお姿に、ただただ圧倒されました。 そして、大きなお働きの中で、常に聖霊様にお力をいただき、また導かれていらっしゃることを知らされました。
それと合わせて先月、丹羽先生がこの場で斉藤先生とは違った側面から聖霊様のお働きをいくつか挙げてくださいましたが、両先生に共通して教えていただいたことは、
聖霊様は自分の内に既に住んで下さっていて、常に働いて下さっている、ことを信じる。その上で、感謝しつつ更に祈り求め続けなければいけない。それが、本来のクリスチャンの歩みの一つである、ということです。 聖霊様を常に意識し、祈りをもって内にある余計なものを排除し、聖霊様に気持ちよく住んでいただいて、存分に働いて下さるように祈り求めなければならないことを学びました。
この度、収録させていただきました先生方のDVDを、出来るだけ多くの方々にその素晴らしいメッセージをお伝えするべく、伝道に大いに用いさせていただけたらと強く感じました。
DVD 「連合女性会一日研修会」
「サウーデ教会 礼拝メッセージ5月号」
1枚5レアイスでお求めいただけます
聖別会にて/ 丹羽師メッセージ
「約束の御霊」
ヨハネによる福音書14章16-18節
は、下記にアップされています
見出し⇒「本日の礼拝&集会内容」⇒「2012-05-20」
からどうぞ