7月15日礼拝            2012年

集 会

聖 別 会

メッセージ  丹羽昭男師   

 Ⅰテサロニケ4:3-4

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今日のみ言から

「どうして、きよめられなければならないのか?」

「どうして、聖化の恵みを体験しなくてはならないのか?」を見ていきます。

 

私たちはイエス様を信じて救われました。そして、信仰生活、すなわち新しい生活に入ったわけです。

信仰生活が進むと信仰もだんだんと成長していく…。

理屈としてはそうですが、実際には成長される方もありますが、止まってしまったり、あるいは後退してしまった、という人もあります。

どうして、そのようなことが起こるのでしょう?

神様を信じて、新しく素晴らしい生活に入ったのに、なぜ成長出来ないのだろうか?

いろいろな理由が、人それぞれに異なってあると思います。

しかし、どんな人でも共通して言える一つの理由としては、「きよくされていない」あるいは、「聖化の恵みの体験をしていない」。だから成長が出来ず、素晴らしい信仰生活を送ることが出来ない。ということだと思います。

 

私たちが「きよくされる」。それは、いつも2つの面があります。

一つは、神様からの面です。

もう一つは、私たち人間からの要求としての面があります。

この二つが合わさったとき、その恵みを得ることが出来るのです。

それでは、神様からの面から見ていきましょう。

 

神の命令 

私たちが、きよくなることは、神様からの命令です。

み言には、はっきりとそのことが書かれています。

「私が聖なるきよいものであるから、私を信じるあなたがたも聖なるきよいものになりなさい」と、命令しています。

神様の命令に対して、私たちはそのまま従うべきです。

僕が主人の命令に何でも従うように、私たちは神様の僕として忠実に従って、きよいものになっていかなくてはならないのです。

 

神のみ心 

命令であると共に神様のみ心でもあります。

神様は、私たちにきよくなって欲しいと願っておられるのです。

親は子供にいろんな願いをもちますね。元気でいて欲しい、真実に生きて欲しい、などあると思いますが、神様もご自身の子供に対して願いをもっておられます。それが、「きよくなって欲しい」ということです。

実は、私たちがクリスチャンとして救われたのは、きよくなるためなのです。聖化の恵みを体験するために、神様は私たちを選んで、救いに入れてくださったのです。

 

神の約束

そして、命令、み心でもあると共に約束でもあるのです。

神様が、「あなた方をきよくする」と約束されているのです。

ですから、私たちが頑張ってきよくなるわけではないのです。

すべては、神様のお働きによって成してくださる奇跡なのです。

 

神様は、「きよくなれ」と命令されます。

そして、そう願われます。

しかし、そうさせてくださるのは、神様なのです。

神様が全部してくださいます。本当に感謝したいと思いますね。

 

続いて、私たちの面からみてみましょう。

 

神との交わり 

私たちも、主イエスを信じてクリスチャンとなりました。

すると自然に「きよくなりたい」という願いが出てきますが、なぜ「きよくならなければいけないのか」。それは、きよい神様と交わりを続けるためです。せっかく神の子とされ、神と直接お交わりをし、神のところへ帰るものとされたわけですから、常に神様と交わるためには、きよくなる必要があるのです。神様と私たちの間に邪魔なもの、妨げになるもの、神様のお嫌いになるものがあってはならないのです。神様とは、いつでも直通・ガラス張りの関係でなくてはいけません。それがすなわち「きよくなる」ということです。きよくなってこそ、きよい神様といつもお交わりが出来て、祈り、神様からのお言葉をいただいて歩むことが出来るのです。

神様とお交わりする為には、どうしてもきよさを持たなくてはなりません。

 

信仰者同士の交わり 

もう一つ、私たちクリスチャン同士の交わりにおいても、きよさが

必要です。互いに隔たりがあったり、隠さなければならないものがあってはよくありません。

きよさを土台にしてこそ、どんなときでも愛の交わり、真実の交わりが出来るからです。どんなことでも祈り合い、語り合える交わりですね。

だから、きよくならなくてはいけないのです。

 

神の奉仕 

更には、神様の奉仕をしていこうとするとき、きよくなくては全う出来ません。

神様の奉仕は、どんなことでもきよいからです。

神様はご自身の働きのために私たちを用いようとされるとき、汚れた器を用いることは出来ません。いつもその働きのために、きよい器を用いられます。なぜなら、神様のお働きはきよいからです。

きよい奉仕はきよい者でないと出来ません。ですから、私たちは神様のご奉仕にあたりたいと願うならば、きよくあることが大事です

 

再臨の主イエス 

そして、再臨の主イエスをお迎えする為です。

常にきよさの備えをしていなければなりません。

主イエスは、花婿です。私たちは花嫁です。花婿はきよいお方ですから、花嫁もきよくなくてはなりません。私たちは、主イエスの再臨が近いことを知っています。いつ、主イエスが来られても、心からお迎え出来る一人ひとりになっていなくてはなりません。

 

きよくなること。

 それは、神様のご命令です。

 ご要望でありみ心です。

 そして、神様がそうしてくださいます。

私たちの方はどうでしょうか。

 きよい神様と交わる為に、

 信仰者同士が互いに交わる為にも、

 神様のご奉仕の為に、

 主イエスをお迎えする為にも、

きよさが必要です。

 

きよめや聖化の体験は、特別な人だけがするものではありません。信じている誰もがしなくてはいけません。

そう、神様は願っておられます。また、きよめてくださいます。

私たちは、それを信じ願うことです。

神様のみ心は、私たちがきよくなることなのですから。

                       アーメン

 

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牧師

 丹羽昭男

副牧師

    丹羽美香

サンパウロ新聞

の取材を受けました!

 2013/04/21 

↓こちらからどうぞ

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/13121/cat/105

取材目的についてお尋ねしたところ、「お年をめされた方々が、昔からの信仰を持ち続け、今もなお喜んで教会へ来られている姿、また日本語だけで行われている礼拝は珍しい」とのこと。この特異な環境にある教会が、主の証しをしていることが広く知られることは、ほんとうに嬉しいことです!また、98歳の姉妹が久々にご出席され、その内容にふさわしく豊かな証しがなされ一同喜びにあふれました!