集 会
聖 別 会
メッセージ 丹羽昭男師
Ⅰテサロニケ4:3-4
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今日のみ言から
「どうして、きよめられなければならないのか?」
「どうして、聖化の恵みを体験しなくてはならないのか?」を見ていきます。
私たちはイエス様を信じて救われました。そして、信仰生活、すなわち新しい生活に入ったわけです。
信仰生活が進むと信仰もだんだんと成長していく…。
理屈としてはそうですが、実際には成長される方もありますが、止まってしまったり、あるいは後退してしまった、という人もあります。
どうして、そのようなことが起こるのでしょう?
神様を信じて、新しく素晴らしい生活に入ったのに、なぜ成長出来ないのだろうか?
いろいろな理由が、人それぞれに異なってあると思います。
しかし、どんな人でも共通して言える一つの理由としては、「きよくされていない」あるいは、「聖化の恵みの体験をしていない」。だから成長が出来ず、素晴らしい信仰生活を送ることが出来ない。ということだと思います。
私たちが「きよくされる」。それは、いつも2つの面があります。
一つは、神様からの面です。
もう一つは、私たち人間からの要求としての面があります。
この二つが合わさったとき、その恵みを得ることが出来るのです。
それでは、神様からの面から見ていきましょう。
神の命令
私たちが、きよくなることは、神様からの命令です。
み言には、はっきりとそのことが書かれています。
「私が聖なるきよいものであるから、私を信じるあなたがたも聖なるきよいものになりなさい」と、命令しています。
神様の命令に対して、私たちはそのまま従うべきです。
僕が主人の命令に何でも従うように、私たちは神様の僕として忠実に従って、きよいものになっていかなくてはならないのです。
神のみ心
命令であると共に神様のみ心でもあります。
神様は、私たちにきよくなって欲しいと願っておられるのです。
親は子供にいろんな願いをもちますね。元気でいて欲しい、真実に生きて欲しい、などあると思いますが、神様もご自身の子供に対して願いをもっておられます。それが、「きよくなって欲しい」ということです。
実は、私たちがクリスチャンとして救われたのは、きよくなるためなのです。聖化の恵みを体験するために、神様は私たちを選んで、救いに入れてくださったのです。
神の約束
そして、命令、み心でもあると共に約束でもあるのです。
神様が、「あなた方をきよくする」と約束されているのです。
ですから、私たちが頑張ってきよくなるわけではないのです。
すべては、神様のお働きによって成してくださる奇跡なのです。
神様は、「きよくなれ」と命令されます。
そして、そう願われます。
しかし、そうさせてくださるのは、神様なのです。
神様が全部してくださいます。本当に感謝したいと思いますね。
続いて、私たちの面からみてみましょう。
神との交わり
私たちも、主イエスを信じてクリスチャンとなりました。
すると自然に「きよくなりたい」という願いが出てきますが、なぜ「きよくならなければいけないのか」。それは、きよい神様と交わりを続けるためです。せっかく神の子とされ、神と直接お交わりをし、神のところへ帰るものとされたわけですから、常に神様と交わるためには、きよくなる必要があるのです。神様と私たちの間に邪魔なもの、妨げになるもの、神様のお嫌いになるものがあってはならないのです。神様とは、いつでも直通・ガラス張りの関係でなくてはいけません。それがすなわち「きよくなる」ということです。きよくなってこそ、きよい神様といつもお交わりが出来て、祈り、神様からのお言葉をいただいて歩むことが出来るのです。
神様とお交わりする為には、どうしてもきよさを持たなくてはなりません。
信仰者同士の交わり
もう一つ、私たちクリスチャン同士の交わりにおいても、きよさが
必要です。互いに隔たりがあったり、隠さなければならないものがあってはよくありません。
きよさを土台にしてこそ、どんなときでも愛の交わり、真実の交わりが出来るからです。どんなことでも祈り合い、語り合える交わりですね。
だから、きよくならなくてはいけないのです。
神の奉仕
更には、神様の奉仕をしていこうとするとき、きよくなくては全う出来ません。
神様の奉仕は、どんなことでもきよいからです。
神様はご自身の働きのために私たちを用いようとされるとき、汚れた器を用いることは出来ません。いつもその働きのために、きよい器を用いられます。なぜなら、神様のお働きはきよいからです。
きよい奉仕はきよい者でないと出来ません。ですから、私たちは神様のご奉仕にあたりたいと願うならば、きよくあることが大事です
再臨の主イエス
そして、再臨の主イエスをお迎えする為です。
常にきよさの備えをしていなければなりません。
主イエスは、花婿です。私たちは花嫁です。花婿はきよいお方ですから、花嫁もきよくなくてはなりません。私たちは、主イエスの再臨が近いことを知っています。いつ、主イエスが来られても、心からお迎え出来る一人ひとりになっていなくてはなりません。
きよくなること。
それは、神様のご命令です。
ご要望でありみ心です。
そして、神様がそうしてくださいます。
私たちの方はどうでしょうか。
きよい神様と交わる為に、
信仰者同士が互いに交わる為にも、
神様のご奉仕の為に、
主イエスをお迎えする為にも、
きよさが必要です。
きよめや聖化の体験は、特別な人だけがするものではありません。信じている誰もがしなくてはいけません。
そう、神様は願っておられます。また、きよめてくださいます。
私たちは、それを信じ願うことです。
神様のみ心は、私たちがきよくなることなのですから。
アーメン
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