第3章   テキスト/ヨハネによる福音書の学び

テキスト・P17~19

[1]主イエスとニコデモとの問答(1ー15節)

(1)ニコデモという人物

 ・老人であり、人生経験も知恵も豊富

 ・ユダヤ人の指導者的立場

 ・議員であり、立派な地位をもつ身分

 ・パリサイ人であり、律法に忠実で人格者

そんな彼だったが、それでも「自分に何か足りないものがある」と感じていたのだろうか、それを求めて夜ひっそりとイエスの元を

たずねた

(2)イエスは、ニコデモになんと言われたか ―

①一度目の「まことに、まことに、あなたに告げます」(3節)

 ・新生の必要性について

 イエス=「人は、新しく生まれなければ、

      神の国を見ることはできません」(3節)

 ニコデモ=「もう一度、母の胎に入って

      生まれることができましょうか」(4節)

イエスは、霊の誕生を示されているのに対し、

ニコデモは、肉体的なことを言っている

     

②二度目の「まことに、まことに、あなたに告げます」(5節)

・新生の原理について

   「人は、水と御霊によって生まれなければ、

神の国に入ることができません」(5節)

  水とは、= バプテスマ

  霊とは、=(神からの)命

バプテスマによって 古い自己が死に、

神から命をいただいて、新しく生まれ変わることを、 

       ⇒ 「新生」という

初めて聞く言葉に理解しがたいニコデモに対し、

イエスは、「風」の例を挙げ説明された(8節)

風は目には見えないが、その音を聞くことにより、「ある」(存在していること)ということが分かる

「霊」も同じで、見えないけれども「ある」(働いている)のだ

     ↓ 

③三度目の「まことに、まことに、あなたに告げます」(11節)

・新生の方法について

 「モーセが荒野で蛇を上げたように、

人の子もまた上げられなければなりません」(14節)

 「それは、信じるものがみな、

人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(15節)

モーセが、

 荒野において青銅の蛇を木の上にかかげ、(民数記 21:5‐9)

 毒蛇にかまれた者は皆、これを仰ぎ見て癒されたように、

神は、                   

 御子イエスを十字架上にかけ、

 その御子イエスを信じて仰ぎ見る者を、

  永遠の滅びから救い出し、

  永遠の生命を与える

つまり、

 「新生=新しく生まれる」とは、主イエスを信じることである

 

テキストP19-20

(5)ニコデモと富める青年

*富める青年の話は、ヨハネの福音書には記されてはいないが、

ニコデモと青年とに共通点が見られるため、あえてその例を挙げて注解します

(マルコ10:17-31.マタイ19:16-30、

           ルカ18:18-30参照)

①二人の主イエスに対する態度

○二人の現状

 ・ニコデモ⇒ 社会的地位があり、知恵も経験も豊富、老人

 ・青 年 ⇒ 財産がある、将来有望な若者

○イエスに対していった言葉

 ・ニコデモ⇒ 「あなたが神からこられた教師であることを

         知っています」

 ・青 年 ⇒ 「永遠の生命をうけるために、なにをしたら

         よいのでしょうか」

二人の立場こそ違えど、その内容から同じ中心問題が心の中に

あったことが読み取れる

②二人が捨てるもの

○二人の共通点

 1.何か不足しているものがある、と気付いていた点

 2.永遠の生命についての疑問

          (死後、どうなるのかという不安)

○イエスのお答え

 ・ニコデモに対し⇒ 「人は、新しく生まれなければ神の国を

            見ることはできない」

      つまり、地位・知識・経験を捨てるように

 ・青年に対し  ⇒ 「もっているものをみな売り払って、

            貧しい人々に施しなさい」

      つまり、富を捨てるように

イエスは、彼らに神の国に入るために、それぞれの何が障害に

なっているのかを的確に示された

それは、彼らが誇り、または強く執着しているものでもあったため、捨て去ることは容易ではなかったことがうかがえる

しかし、すでにあるその恵みこそ、イエスを信じられなくさせている要因でもあった

「誇り」 は ― 自己中心の思いを強くさせる

「執着心」は ― さらに欲望を生み出す

という罪をはらんでいる

イエスは、

 1、全てを捨て去る(ゼロになること)

 2、罪の告白

 3、信仰をもつ

という道を正しくたどる事を霊的に示されていた

それは、主イエスを神の子と信じる信仰へと導く深い愛より出た

お答えだった

③ニコデモのその後

この時ニコデモは、イエスのお言葉をよく理解でずにその場を

去ったが、次第にその意味を理解し、イエスに対する尊敬を深めることとなり、言動にもあらわれた

 ・イエスを保護する発言

 ・イエスの十字架の死後、アリマタヤのヨセフと共にその身体を

  丁重に葬った

テキストP21

[Ⅱ]本書の中心的な御言(みことば)3章16-21

16~神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、

   この世を愛された

   それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、

   永遠のいのちを持つためである

17~神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、

   御子によって世が救われるためである。

 

この聖句は、聖書の中心と言われています

まず、神様とは、どんな方でしょう?

・全知全能・創造主・永遠(無限)・聖い・義・愛・・・など

 

では、聖句から神様は愛なるお方であることを見ていきましょう

・全人類のために、ひとり子であるイエス様を犠牲され、

  十字架につけるほどの愛をもってくださっています

 

なぜ、その救い主イエス様をお与えくださったのでしょう?

・最初の人、アダムとエバが罪を犯したことによって無くした

  「永遠のいのち」を、御子イエス様を信じた者に再び与えて

  くださるためです

・イエスさまを信じる。それが、信仰です

・この聖句は、福音を示しています

  それこそが、キリスト教なのです。

 

(1)永遠の生命(いのち)

永遠の生命とは、霊によって生まれる霊的な生命である

 人間がこれを受けるためには、

 霊によって新しく生まれなければならない

(2)主イエスを信じること

新しく生まれるとは、主イエスを信じること

 人間は主イエスを信じることによって、主イエスの永遠の生命

 を、自分の生命として新しく与えられる

神様は、だれでも主イエスを信じる者に「神の子の特権」を

与え、永遠の生命が与えられる

それほどまでに、この世の全ての人を愛されているのです

 

(3)神の目的

17節に、「世」という言葉が三度出てくるが、

「世」とは、世界人類のことである

神の目的 = 主イエスをこの世につかわされたこと

          ↓

全人類が救われること=主イエスを信じて永遠の生命をもつこと

 

主イエスと、バプテスマのヨハネとの働きの違いとは、

バプテスマのヨハネ⇒この世の罪を裁くために…

          人々に悔い改めのメッセージを語った

  主イエス   ⇒その罪から人々を救うために…

          ご自身をを十字架につけられた

 

(4)神の審き(さばき)

主イエスは、世を審くために来られたのではない

しかし、主イエスによって、自動的に審かれることとなった

それは、主イエスを、

  信じる者⇒ 罪から救われ永遠の生命を与えられる

 信じない者⇒ 暗黒の中にとどまり、永遠の滅びへと向かう

結果、主イエスではなく、信じない彼らが自分で滅亡に定めたのである

 

(5)二分(にぶん) 20-21節

「悪を行っている者」

 暗黒を愛して、その中に住み、罪を示されても悔い改めようと

 しない者

 つまりは、自分から救いより遠ざかってしまう者のこと

「心理を行っている者」

 心の真実な者・偽りのない者

 そのような人は光である主イエスの元に来ることで、

 自分の罪が照らし出される時、素直に悔い改め、

 主イエスを信じることで救われる

「もろもろの人を照らす真の光」

 光である主イエスが来られたことによって、

 世(人類)は、光の子と暗黒の子とに、二分されたのである 

テキストP23~24

[Ⅲ]バプテスマのヨハネと主イエス 3章22-30節

(1)ヨハネの弟子たちの質問

主イエスは、ユダヤでバプテスマを授けておられた

バプテスマのヨハネは、アイノンという所で授けていた

ヨハネの弟子は、多くの人が主イエスの元へ行くのを見て

嫉妬と不平から、ヨヘネにそのことを伝えた

 

 (2)バプテスマのヨハネの役割

 「あなたがたこそ、

 『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である。』と

 私が言ったことの証人です。

 花嫁を迎える者は花婿です。

 そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、

 花婿の声を聞いて大いに喜びます。

 それで、私もその喜びで満たされているのです。」28-29節

 「彼は必ず栄え、わたしは衰える」  30節 口語訳

 

新郎とは、主イエスのこと

新婦とは、私たち人類のこと

新郎の友人とは、ヨハネ自身のことを指している

ヨハネは、

「キリストではなく、その前に遣わされた者である」28節

ことを、よく理解しており、弟子たちにも明確に語っている

新郎の友の役目とは?

新郎と新婦を引き合わせ、結婚をもってその任務を終える

その役目は、主イエスが「救い主」だとを世の人々に指し示す

(紹介)することである

(3)主イエスのバプテスマ

ヨハネのバプテスマは、「罪の悔い改め」のためであり、

それは神の国に入るために必要な準備である

ヨハネは、キリストの先駆者であり、

主イエスは、キリストそのものである

ヨハネに与えられた役割とは?

①救い主の準備(主イエスが働きやすいように)

 ヨハネは、悔い改めのメッセージを語っていた

 そのお陰で、すでに人々の心は神に向けられていた

②新郎の友として、主イエスと人々を結びつける

 ヨヘネは、それだけで満足だと言っている

③主イエスの紹介

 主イエスこそ、救い主だと指し示す

④役目が終われば消えていく

テキストP25

[Ⅳ]神のみ子イエス  3章31-36節

(1)主イエスは神のみ子

主イエスと、ヨハネとの違い

 ヨハネ=人間

    ⇒だから、地(この世)のことを語り、

     また、部分的な真理であった

 主イエス=神のみ子

    ⇒天上のことを語り、

     すべて霊的な真理に満ちた神のことばであった

(2)神のみ子による審判

神は、主イエスに審判をゆだねられた

 主イエスを信じるか信じないかによって、

 神の審判がなされている

審判は、明白であり、選択は自由である

[Ⅴ]3章の要約

(1)神はみ子主イエスに、審判をゆだねられた

(2)神は、その愛するみ子を遣わすほどに、この世を愛された

(3)み子を信じるものは、「永遠の生命」が与えられ、

   信じない者は、「永遠の滅亡」である

~以上、4章へつづく~

牧師

 丹羽昭男

副牧師

    丹羽美香

サンパウロ新聞

の取材を受けました!

 2013/04/21 

↓こちらからどうぞ

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/13121/cat/105

取材目的についてお尋ねしたところ、「お年をめされた方々が、昔からの信仰を持ち続け、今もなお喜んで教会へ来られている姿、また日本語だけで行われている礼拝は珍しい」とのこと。この特異な環境にある教会が、主の証しをしていることが広く知られることは、ほんとうに嬉しいことです!また、98歳の姉妹が久々にご出席され、その内容にふさわしく豊かな証しがなされ一同喜びにあふれました!