テキスト・P17~19
[1]主イエスとニコデモとの問答(1ー15節)
(1)ニコデモという人物
・老人であり、人生経験も知恵も豊富
・ユダヤ人の指導者的立場
・議員であり、立派な地位をもつ身分
・パリサイ人であり、律法に忠実で人格者
そんな彼だったが、それでも「自分に何か足りないものがある」と感じていたのだろうか、それを求めて夜ひっそりとイエスの元を
たずねた
(2)イエスは、ニコデモになんと言われたか ―
①一度目の「まことに、まことに、あなたに告げます」(3節)
・新生の必要性について
イエス=「人は、新しく生まれなければ、
神の国を見ることはできません」(3節)
ニコデモ=「もう一度、母の胎に入って
生まれることができましょうか」(4節)
イエスは、霊の誕生を示されているのに対し、
ニコデモは、肉体的なことを言っている
↓
②二度目の「まことに、まことに、あなたに告げます」(5節)
・新生の原理について
「人は、水と御霊によって生まれなければ、
神の国に入ることができません」(5節)
水とは、= バプテスマ
霊とは、=(神からの)命
バプテスマによって 古い自己が死に、
神から命をいただいて、新しく生まれ変わることを、
⇒ 「新生」という
初めて聞く言葉に理解しがたいニコデモに対し、
イエスは、「風」の例を挙げ説明された(8節)
風は目には見えないが、その音を聞くことにより、「ある」(存在していること)ということが分かる
「霊」も同じで、見えないけれども「ある」(働いている)のだ
↓
③三度目の「まことに、まことに、あなたに告げます」(11節)
・新生の方法について
「モーセが荒野で蛇を上げたように、
人の子もまた上げられなければなりません」(14節)
「それは、信じるものがみな、
人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(15節)
モーセが、
荒野において青銅の蛇を木の上にかかげ、(民数記 21:5‐9)
毒蛇にかまれた者は皆、これを仰ぎ見て癒されたように、
神は、
御子イエスを十字架上にかけ、
その御子イエスを信じて仰ぎ見る者を、
永遠の滅びから救い出し、
永遠の生命を与える
つまり、
「新生=新しく生まれる」とは、主イエスを信じることである
テキストP19-20
(5)ニコデモと富める青年
*富める青年の話は、ヨハネの福音書には記されてはいないが、
ニコデモと青年とに共通点が見られるため、あえてその例を挙げて注解します
(マルコ10:17-31.マタイ19:16-30、
ルカ18:18-30参照)
①二人の主イエスに対する態度
○二人の現状
・ニコデモ⇒ 社会的地位があり、知恵も経験も豊富、老人
・青 年 ⇒ 財産がある、将来有望な若者
○イエスに対していった言葉
・ニコデモ⇒ 「あなたが神からこられた教師であることを
知っています」
・青 年 ⇒ 「永遠の生命をうけるために、なにをしたら
よいのでしょうか」
二人の立場こそ違えど、その内容から同じ中心問題が心の中に
あったことが読み取れる
②二人が捨てるもの
○二人の共通点
1.何か不足しているものがある、と気付いていた点
2.永遠の生命についての疑問
(死後、どうなるのかという不安)
○イエスのお答え
・ニコデモに対し⇒ 「人は、新しく生まれなければ神の国を
見ることはできない」
つまり、地位・知識・経験を捨てるように
・青年に対し ⇒ 「もっているものをみな売り払って、
貧しい人々に施しなさい」
つまり、富を捨てるように
イエスは、彼らに神の国に入るために、それぞれの何が障害に
なっているのかを的確に示された
それは、彼らが誇り、または強く執着しているものでもあったため、捨て去ることは容易ではなかったことがうかがえる
しかし、すでにあるその恵みこそ、イエスを信じられなくさせている要因でもあった
「誇り」 は ― 自己中心の思いを強くさせる
「執着心」は ― さらに欲望を生み出す
という罪をはらんでいる
イエスは、
1、全てを捨て去る(ゼロになること)
2、罪の告白
3、信仰をもつ
という道を正しくたどる事を霊的に示されていた
それは、主イエスを神の子と信じる信仰へと導く深い愛より出た
お答えだった
③ニコデモのその後
この時ニコデモは、イエスのお言葉をよく理解でずにその場を
去ったが、次第にその意味を理解し、イエスに対する尊敬を深めることとなり、言動にもあらわれた
・イエスを保護する発言
・イエスの十字架の死後、アリマタヤのヨセフと共にその身体を
丁重に葬った
テキストP21
[Ⅱ]本書の中心的な御言(みことば)3章16-21
16~神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
この世を愛された
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである
17~神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、
御子によって世が救われるためである。
この聖句は、聖書の中心と言われています
まず、神様とは、どんな方でしょう?
・全知全能・創造主・永遠(無限)・聖い・義・愛・・・など
では、聖句から神様は愛なるお方であることを見ていきましょう
・全人類のために、ひとり子であるイエス様を犠牲され、
十字架につけるほどの愛をもってくださっています
なぜ、その救い主イエス様をお与えくださったのでしょう?
・最初の人、アダムとエバが罪を犯したことによって無くした
「永遠のいのち」を、御子イエス様を信じた者に再び与えて
くださるためです
・イエスさまを信じる。それが、信仰です
・この聖句は、福音を示しています
それこそが、キリスト教なのです。
(1)永遠の生命(いのち)
永遠の生命とは、霊によって生まれる霊的な生命である
人間がこれを受けるためには、
霊によって新しく生まれなければならない
(2)主イエスを信じること
新しく生まれるとは、主イエスを信じること
人間は主イエスを信じることによって、主イエスの永遠の生命
を、自分の生命として新しく与えられる
神様は、だれでも主イエスを信じる者に「神の子の特権」を
与え、永遠の生命が与えられる
それほどまでに、この世の全ての人を愛されているのです
(3)神の目的
17節に、「世」という言葉が三度出てくるが、
「世」とは、世界人類のことである
神の目的 = 主イエスをこの世につかわされたこと
↓
全人類が救われること=主イエスを信じて永遠の生命をもつこと
主イエスと、バプテスマのヨハネとの働きの違いとは、
バプテスマのヨハネ⇒この世の罪を裁くために…
人々に悔い改めのメッセージを語った
主イエス ⇒その罪から人々を救うために…
ご自身をを十字架につけられた
(4)神の審き(さばき)
主イエスは、世を審くために来られたのではない
しかし、主イエスによって、自動的に審かれることとなった
それは、主イエスを、
信じる者⇒ 罪から救われ永遠の生命を与えられる
信じない者⇒ 暗黒の中にとどまり、永遠の滅びへと向かう
結果、主イエスではなく、信じない彼らが自分で滅亡に定めたのである
(5)二分(にぶん) 20-21節
「悪を行っている者」
暗黒を愛して、その中に住み、罪を示されても悔い改めようと
しない者
つまりは、自分から救いより遠ざかってしまう者のこと
「心理を行っている者」
心の真実な者・偽りのない者
そのような人は光である主イエスの元に来ることで、
自分の罪が照らし出される時、素直に悔い改め、
主イエスを信じることで救われる
「もろもろの人を照らす真の光」
光である主イエスが来られたことによって、
世(人類)は、光の子と暗黒の子とに、二分されたのである
テキストP23~24
[Ⅲ]バプテスマのヨハネと主イエス 3章22-30節
(1)ヨハネの弟子たちの質問
主イエスは、ユダヤでバプテスマを授けておられた
バプテスマのヨハネは、アイノンという所で授けていた
ヨハネの弟子は、多くの人が主イエスの元へ行くのを見て
嫉妬と不平から、ヨヘネにそのことを伝えた
(2)バプテスマのヨハネの役割
「あなたがたこそ、
『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である。』と
私が言ったことの証人です。
花嫁を迎える者は花婿です。
そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、
花婿の声を聞いて大いに喜びます。
それで、私もその喜びで満たされているのです。」28-29節
「彼は必ず栄え、わたしは衰える」 30節 口語訳
新郎とは、主イエスのこと
新婦とは、私たち人類のこと
新郎の友人とは、ヨハネ自身のことを指している
ヨハネは、
「キリストではなく、その前に遣わされた者である」28節
ことを、よく理解しており、弟子たちにも明確に語っている
新郎の友の役目とは?
新郎と新婦を引き合わせ、結婚をもってその任務を終える
その役目は、主イエスが「救い主」だとを世の人々に指し示す
(紹介)することである
(3)主イエスのバプテスマ
ヨハネのバプテスマは、「罪の悔い改め」のためであり、
それは神の国に入るために必要な準備である
ヨハネは、キリストの先駆者であり、
主イエスは、キリストそのものである
ヨハネに与えられた役割とは?
①救い主の準備(主イエスが働きやすいように)
ヨハネは、悔い改めのメッセージを語っていた
そのお陰で、すでに人々の心は神に向けられていた
②新郎の友として、主イエスと人々を結びつける
ヨヘネは、それだけで満足だと言っている
③主イエスの紹介
主イエスこそ、救い主だと指し示す
④役目が終われば消えていく
テキストP25
[Ⅳ]神のみ子イエス 3章31-36節
(1)主イエスは神のみ子
主イエスと、ヨハネとの違い
ヨハネ=人間
⇒だから、地(この世)のことを語り、
また、部分的な真理であった
主イエス=神のみ子
⇒天上のことを語り、
すべて霊的な真理に満ちた神のことばであった
(2)神のみ子による審判
神は、主イエスに審判をゆだねられた
主イエスを信じるか信じないかによって、
神の審判がなされている
審判は、明白であり、選択は自由である
[Ⅴ]3章の要約
(1)神はみ子主イエスに、審判をゆだねられた
(2)神は、その愛するみ子を遣わすほどに、この世を愛された
(3)み子を信じるものは、「永遠の生命」が与えられ、
信じない者は、「永遠の滅亡」である
~以上、4章へつづく~