第1章  テキスト/ヨハネによる福音書の学び

テキストP3~4

[1]ことばの永遠性について  1章1-5節 

1節:初めに言(ことば)があった。

   言は神と共にあった。言は神であった。

2節:この言は初めに神と共にあった。

3節:すべてのものは、これによってできた。~

4節:この言に命があった。~

 

(1)はじめにことばがあった

・ここでいう「初め」とは、―

 時のはじめ=永遠の神が天地を創造されることによって、 

       「時」が始まった

・神は「言(ことば)」であったとは、―

 「言」は、主イエスを意味しており、 

 その主イエスと内面的一体をもった唯一の神であることを

 示している  

(2)ことばは神とともにあった

(3)ことばは神であった

・神と共にあった「言」とは、―

 「共に」とは、別個の人格的な存在であるが、三位一体

 (父・子・聖霊)つまり生命的な一体を表している

・言は初めに神と共にあった とは、―

 言(=主イエス)は、神による天地創造と同時に存在したのでは

 なく、また、創造されたものの中にもない

 神同様、「永遠」の存在であることを意味している

(4)ことばによって創造された

・すべてのものは、これによってできた とは、―

 「よって」ということは、「通して」という意味である

 創られたものは全て、この言を通してなされた

(5)ことばに生命があった

・この言に生命があった とは、―

 創られたものの生命は、全て神によって与えられた

 その神と共に初めから存在している言によって、人も創られ

 言によって生かされている

  

(6)ことばはキリスト

①言の実態はキリストである

 この言という意味は、「父のひとり子」を示している

 神のみ子であり、永遠なるお方である主イエスを記していく

 うえで、その始めに「言」という表現を用いて、その存在を示し

 たと思われる

 上記のことから、本書の目的は、「永遠の神のみ子」としての

 主イエスを記すことであった

②他の福音書の内容との違い

共観福音書は、

 「人の子イエス」の伝記として、地(この世)より、天(永遠)

 を仰ぎ見ているのに対し、

ヨハネの福音書は、

 天より、地を見ているところが特徴的である 

 従って、共観福音書は読んでいても比較的に分かりやすいが、

 ヨハネの福音書は分かりづらい箇所が多い

  テキストP5~6

[2]ことばの受肉 1章9-14節 

(1)世にこられた

1章9~14節は、言(ことば)の受肉について語られている

「世」とは、ー この世界のことである

・では、いつ・どのようにしてこられたのか?

 ①イスラエル  の、

 ②エルサレム  へ、

 ③今からおよそ2000年前  に、

 ④永遠の世界から、時間のこの世界に入ってこられた

 

(2)言(ことば)は、肉体となった とは、―

言(ことば)は、言の本質をもちつつ、その上に新しい肉体という状態をもつものになった、ということ

・では、言が、どのような必要により、肉体という状態をもったのか ―

 ①わたしたちに神を示すため

 ②世の罪を救うため=十字架

この2つの目的を達成するために、この大奇跡は起こった

 

(3)信じ受け取るもの 14節

言であるキリストが、「めぐみ=生命」と、「まこと=光」に満ち、肉体をもってこの世界にこられた時、

 ①信じ受け入れたもの

 ②受け入れないもの  の、二者が生じた

主イエス・キリストを信じるものは、「神の子」とされ、

この「めぐみ と まこと」が与えられた

 テキストP7~8

[3]バプテスマのヨハネ (5~34節) 

神は、主イエス・キリストの証明者として「バプテスマのヨハネ」をこの世に使わした

・ヨハネによる証明 

 ①わたしはキリストではない(1章8・20節 3章28節)

 ②主イエスは、「神の子」である(1章34節)

 ③主イエスは、世の罪を取り除く「神の子羊」である

                   (1章29・36節)

・ヨハネの働きについて

 ①自ら、「わたしは荒野に呼ばわる声」と言い、

 「わたしの後にくるお方こそ主であり、キリストである」ことを

 示した

 ②悔い改めを促すメッセージ

 ③生活題度を改めるよう語った

 

・キリストは神の子 1章34節

 ①ヨハネより先におられた方 1章30節

主イエスは、はじめに神と共にある神なる言(ことば)であったことを言っている

 ②イザヤの預言 1章23節

ヨハネが、主イエスが神の子と信じたのは、預言者イザヤのことばによった

 

・ヨハネにまさるキリスト

ヨハネは、水によってバプテスマを施す者であったが、主イエスは、自分を信じ受け入れる者を「神の子」とされる

ヨハネは、自分はあくまでも救い主である主イエスの道を示す者であり、主イエスは救い主そのものであることを証明し、人々に紹介した人物であった

  テキストP10~11

[4]他の証明者たち 1章35-51節  

(1)少数の弟子たち

主イエスの証明者

 ①父なる神は、「わたしの愛する子」と

 ②預言者イザヤは、メシアであることを

 ③バプテスマのヨハネは、神の小羊であることを

 ④弟子たちは、神の子であることを

  証明した

(2)二組の兄弟

①バプテスマのヨハネの紹介

②主イエスの呼びかけに応答

・主イエスに従ったもの

 使徒ヨハネとヤコブ /アンデレとペテロ

二人は、バプテスマのヨハネの弟子であったが、師ヨハネの勧めと主イエスの呼びかけを受け、主イエスに従った

その後アンデレは兄弟ペテロを、ペテロは同郷のピリポを、ピリポは友人ナタナエルへと、順に主イエスのもとへ連れてきた

彼らは、主イエスが「神の子であり、神の小羊である」ことを証しするために選ばれ、使徒とされたのである

(3)シモンとナタナエル

主イエスは、「見抜く力」をもって、彼らの性格を見、接しておられた

 

 

~以上、第2章へつづく~

牧師

 丹羽昭男

副牧師

    丹羽美香

サンパウロ新聞

の取材を受けました!

 2013/04/21 

↓こちらからどうぞ

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/13121/cat/105

取材目的についてお尋ねしたところ、「お年をめされた方々が、昔からの信仰を持ち続け、今もなお喜んで教会へ来られている姿、また日本語だけで行われている礼拝は珍しい」とのこと。この特異な環境にある教会が、主の証しをしていることが広く知られることは、ほんとうに嬉しいことです!また、98歳の姉妹が久々にご出席され、その内容にふさわしく豊かな証しがなされ一同喜びにあふれました!