テキストP26~27
[1]主イエスとサマリヤの女(4:1-26)
(1)主イエスは、パリサイ人たちとの衝突をさけるために
ガラリヤへ行かれた
3-4節
「主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。」
・その場所には、有名な「ヤコブの井戸」があった
・主イエスは、そのほとりに座り休んでおられた
・正午であったが、一人のサマリヤの女が水をくみに
その井戸にやって来た
・ここに、「この世の救い主」と「異邦人の女」との間で、
実に深い会話がなされたのである
(2)ユダヤ人とサマリヤ人
・サマリヤ人とは、― ユダヤ人と異邦人の混血
・ユダヤ人は、そのことで軽蔑していた
・しかし、サマリヤ人もまた、我等こそイスラエルの始祖ヤコブ
の子孫だと自任し、ユダヤ人を憎み軽蔑していた
・互いの交わりはなかった
(3)女の質問
・先に、主イエスの方から「水を飲ませて下さい」と女に願った
・しばらくの会話の後、主イエスは
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われた
・主イエスは、これまでの単純な生活問題から一転し、
女の道徳問題へと話を移された
・女は、大きな尊敬を抱いて主イエスに質問をした
19節
「私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなた方は、
礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
(4)主イエスのお答え
①第一に大事なことは、
・女の質問は、「礼拝をどこですれば良いか?」という
場所の問題であった
・しかし、主は、
どこで礼拝するか(場所)ではなく、
何を礼拝するか(対象)であると答えられた
・「正しい礼拝」とは、「神とは、いかなるお方であるか」
ということを正しく知ることである
・神は、ユダヤの神であり、サマリヤの神であるだけでなく、
「世界の全人類の神」である
・霊なる神は、目には見えないが「生ける神あって、
この真の神を礼拝するのである
②第二に、
・「霊とまこと」をもって礼拝すべきであるということ
・「霊をもって礼拝する」とは、
自分の全部、全力で、神の方へ霊の目を向け集中して礼拝
すること
・「まこと(真)をもって礼拝すると」とは、
真実・正直・単純でありのままに、幼子のようになって礼拝
すること
・全力で神に祈り、賛美をささげ、素直で単純な心で神からの
御言(メッセージ)を聞くことである
テキストP28~29
[Ⅱ]サマリヤ伝道(4:27-42)
(1)畑ははや色づいている
霊の畑は、はや色づいて収穫をまっている
主イエスがサマリヤの女の子緒路の中にまいた御言の種は、サマリヤの人々の中に実を結んでいた
そして、弟子たちが収穫するのを待っている
まく者と刈り取る者、共に大きな喜びを得るのである
(2)伝道は一人から
神は、伝道の門を開くため、まず、一人の真実な求道者を伝道者のもとへ送り込んでくださる
その一人を救いに導くことは、多くの人々を救いに導くことになる
だから、伝道者は「一人」の魂を重んじて「一人」のために愛をもって導くことが大切である
真実をこめて、「キリストによる救い」を証しすべきである
○主イエスと出合ったサマリヤの女の変化
・主イエスを信じた
・喜びにあふれた
・他人に勇気をもって証しした
・サマリヤ人の救い(女の証によって)
救いは、一人から始まる ← 神様の方法
救いの御業は、主イエスがすでにしてくださっている
それを、信じ伝える(証し)だけで、また救いの御業を主イエスは
してくださる
テキストP28~29
[Ⅲ]病気のいやし 4:43-54
(1)ガラリヤへ
主イエスは、サマリヤに二日間滞在した後、ガリラヤへ行かれた
ガリラヤは、主イエスの故郷であった
①ガリラヤの人々の信仰
ご利益的な信仰
(2)信仰によるいやし
○役人の信仰
「息子が病気になっているので、カペナウムにきて、
なおして下さい」
↓
主イエスは、その熱心で必死な態度を見て、
「お帰りなさい。あなたの息子は助かるのだ」と言われた
↓
役人は、そのみことばを信じて家に帰って行った
その途中、家から来た僕たちと出会い、息子がいやされた時とことを聞いた
さらに、主イエスがみことばを下さった時と、息子がいやされた時とが同時刻であったことを知り、役人もその家族全員も主イエスを信じた
・役人は、「しるし」を見ないで主イエスのみことばを信じた
その信仰によって、主イエスの奇跡(いやし)はなされ、その
「しるし」によって、彼の信仰は確立されたのである
・ここでも、一人の役人の信仰から家族全員の救いへと
導かれている
そのことを信じ、家族や周辺の人々のために祈りましょう
・神様が、私たちに色々な問題をお与えになるのは何故か―?
それは、この役人同様に主イエスの元へ走らせるためである
自分で解決のつかない問題がなければ、おそらく主イエスを頼ることはないかも知れない
そう思うとき、「問題」は「恵み」として受け入れられる
その問題をそのまま主イエスの元へ持っていこう!
~以上、5章へつづく~