私たちの救いのために、十字架上で贖いの血潮を流して下さった
尊い「キリストの血の意味」について黙想してみましょう。
1、キリストの血は神のため
イスラエルの民が出エジプトをするにあたって、子羊の血が塗ってある家は
神のさばきに合わなかったのです。神はその血を見てその家を通り過ぎました。
子羊の血(キリストの血)は、神の義を満足させました。
あなたは「血を感じよう」と努力することは無駄なことです。何も感じなくても
神の言葉を信頼することです。
「あなたがたが空疎な生活から贖いだされたのは…子羊のような尊い血によった」
(1ペテロ1;19)
神が、「血が尊い」と言われるからこそ、あなたも血が尊いと信じなければなりません。神が罪の代価として血を受け入れて下さったのですから、あなたはそれを
信じ、心を安んずることです。あなたはキリストの血によって罪の負い目から解放されたのですから。
2、キリストの血により神に自由に近づくことができるようになりました
「イエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができる」
(ヘブル10-19)
血によらなければ神に近づくことができません。決してあなたが何事かをする事によって神に近づくのではないのです。
時々考え違いをしている人がいます。
「今日は全てが良く行った。人を傷つけなかったし、聖書も読むことができた。
だから今日は良く祈ることができる」
「今朝は家族とゴタゴタした。そのため一日中おもしろくなかった。まだ心の中もモヤモヤしている。故に神に近づくことができない」
「今ショッキングなことを言われた。祈る気持ちにもなれない」
あなたは「今日神のために何かをした」と言うような、感情と言う不安定なものによって神に近づくのではないのです。今日、昨日さらに以前がどうであろうとも、またその日が良くても悪くても、罪を犯そうが犯すまいが、神に近づくことのできるのはキリストの血の故なのです。
私たちは弱いかもしれません。しかし自己の弱さを見つめていることは決して
あなたを強くしません。
いかなる懺悔も、少しもあなたをきよめることはできません。
あなたは、キリストの血の故に大胆に神に近づいてください。(ヘブル10‐22)
3、サタンに対して勝利するキリストの血
サタンはあなたの数々の罪を並べて、神に赦されていないと思わそうとします。しかし、キリストの血は全ての罪からあなたをきよめて下さるのです。(1ヨハネ1;7) キリストの血の故に神は私たちを赦すことがおできになります。
「罪人です。お赦しください」と祈るのではなく、キリストの血の故に罪赦された者とされたことを信じ感謝をささげて下さい。
私たちは自己の善行や熱心さによってではなく、いつでもキリストの血によって
サタンに応答すべきなのです。
キリストの血潮のお恵みを心に深く覚え、み言葉を握って、信仰に堅く立ち
ましょう。
* 新聖歌264
十字架の血潮に/きよめられて/ハレルヤを叫ぶ/身とはなりぬ/
負い目は払われ/重荷はなし/
聖潔の血潮に/日々洗わる/