3月25日礼拝         2012年

 

小野田宏執事

「御子は神の栄光の輝きである」

 

ヘブル人への手紙1章1-6節

信徒養成講座「ヨハネの福音書の学び」

10月から、丹羽師作成のテキスト「ヨハネの福音書の学び」を

用いて、礼拝のあと、丹羽師による当講座が始められています

ここでは、当講座における、質疑応答を中心に要約しています。

詳しい講座内容は、見出し「ヨハネの福音書の学び」から、

ご覧ください。

****************

☆本日の学び

第3章②  テキストP19-20

ニコデモと富める青年について

富める青年の話はヨハネの福音書には記されてはいないが、

共通点が見られるため、あえてその例を挙げています

(マルコ10:17-31.マタイ19:16-30、

           ルカ18:18-30参照)

第3章

3:1パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。3:2この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。3:3イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。3:4ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。3:5イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。3:6肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。3:7あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。3:8風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。3:9ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。3:10イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。3:11よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。3:12わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。3:13天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。3:14そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。3:15それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
 

○二人の共通点

 1.何か不足しているものがある、と気付いていた点

 2.永遠の生命についての疑問

          (死後、どうなるのかという不安)

二人の立場こそ違えど、その内容から同じ中心問題が心の中に

あったことが読み取れる

 

○主イエスのお答え

 ・ニコデモに対し⇒ 地位・知識・経験を捨てるように

 ・青年に対し  ⇒ 富を捨てるように

それは、彼らが誇り、または強く執着しているものでもあった

ため、捨て去ることは容易ではなかったことがうかがえる

しかし、すでにあるその恵みこそ、主イエスを信じられなくさせている要因でもあった

 

 

☆質疑応答

A姉

二人は豊かな知恵をもっていたにもかかわらず、

なぜイエス様のお言葉を理解できなかったのでしょうか?

 

丹羽師

私たちも自分のことを思い返してみましょう

初めて福音を聞いて、すぐに信じることができたでしょうかー

やはり、難しいと感じられた方が多かったと思います

まして、この時、まだイエス様は十字架の救いの業をなされて

いなかったわけです

今私たちは、イエス様が十字架の救いの業を完成なさって、復活されて今でも生きておられることなど、全部を知っていますから、

彼らと比べると条件が全然違いますね

当時の彼らには、今の私たち以上に分かりにくかったのでは

ないでしょうか

また、持っている大事な全てを捨てるようにと言われても、

それは簡単なことではないはずです

今も昔も、人はなかなか全てを捨てて裸になることは難しいですね つい、何かで飾ろうとしてしまいます

しかし、イエス様は各々心に惹かれているものこそ捨てなさい、と指摘されました

さらに、裸(ゼロ)になって、その罪を告白しなさいと導かれているのです

 

B姉

神様の示される道と、今まで歩んできた自分の道が、あまりにも

違い過ぎて分かりにくい、ということもありますね

 

丹羽師

そうですね

天国のニュース(知らせ)には、こちらのチャンネル(周波数)を常に合わせていくことが大事ですね

霊的に難しいと思われる御言葉であっても、何度も何度も聞いていくうちに、聖霊様が働いてくださることによって、理解も信仰も

強められることがありますよ

すべては、神様の導きですね

******************

 

丹羽師あかし (同講座内にて)

  

「全てを捨てて」

私も以前、同じような道(もっているものを捨てる)を、

通りました

「イエス様に自分をささげる」ということが、非常に難しいと

思われる時がありました

その頃、私は大学生で進路についての岐路にたたされていました

教会の方々は、早く献身して神学校へ行くよう勧めてくださっていましたが、それに対し、大学の友人や先生には猛反対されて

いました

みんなからは、「神学校へ進めば、これまで自身のアルバイトに

加え、実父からの援助もあって、一生懸命勉強してきたのに、

それらの苦労が全く報われないだろう。だから、卒業後は良い仕事に就いて、学んだことを生かすような道に進むべきだ」と、説得されました

私も人間ですから、その言葉に迷いが生じて随分悩みました

そんな折、ビリー・グラハム師の国際大会が東京で行われており、参加した私は、グラハム師のメッセージもさることながら、

その時同伴されていた、賛美歌「キリストには代えられません」の作者の方が、日本語で歌われた同歌詞を聞きながら、

 「自分の捨てようとしているものなど大した事はないな。

 この迷いは何だったんだろう・・・」

と思い、決心がつきました。

そして、大学卒業後すぐに神学校の道に進みました

友人たちには、「アイツは、狂ってしまったんだろう」と思われていたようですが、でも私は狂ってはいませんでした

もし、狂ったというのであれば、イエス様の為に狂いました(笑)

今にして思えば、大したものではなかったけれど、別の道を捨てて本当に良かったなぁ、とつくづく思っています

みなさんも、これまで何かを捨てたり犠牲にしてきたことがあるやも知れません

しかし、捨てた以上のものを今、受けている事に気付かれておられるでしょう

私たちは、「永遠の生命」を、もっているんです

何と比べられるでしょうか―、

どんなものでも、それに勝るものなどないはずです

これからも、互いに余計なものは捨てつつ、イエス様だけを見上げて進んでまいりましょう

アーメン

 

♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪

 

新聖歌428「キリストには代えられません」

 

   1 キリストには 代えられません

     世の宝も また富も

     この御方がわたしに 代わって死んだゆえです

 

   * 世の楽しみよ去れ 世の誉れよ行け

     キリストには 代えられません

     世の何物も

 

   2 キリストには 代えられません

     有名な人になることも

     人の褒める言葉も この心を引きません

   

   * くりかえり

 

   3 キリストには 代えられません

     如何に美しいものも

     この御方で心の 満たされてある今は

 

   * くりかえし

♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪

*ヨハネによる福音書の詳しい内容は、

見出し⇒ 「第3章」からご覧になれます

    日曜礼拝

午前10:30~11:30

住所/Rua Veriano Pereira 52 Saude S.P CEP 04144-030

(メトロ SAUDE駅そば)

Tel/(11)2275-48124

Email/saudekyoukai@live.jp 

日本語による「聖書」のお話です。聖書に興味のある方、神様をお知りになりたい方、交わりを求めておられる方、

どなたでも大歓迎です!お気軽にお越しください。あなたをお待ちしています!

牧師

 丹羽昭男

副牧師

    丹羽美香

フリーペーパー・まなかに美香師が執筆中!

まなかHPからどうぞ!http://manaca-r.jimdo.com/

教会正面

礼拝の様子

お問い合わせ

フォーム

――――――――

メモ: * は入力必須項目です

サンパウロ新聞

の取材を受けました!

 2013/04/21 

↓こちらからどうぞ

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/13121/cat/105

取材目的についてお尋ねしたところ、「お年をめされた方々が、昔からの信仰を持ち続け、今もなお喜んで教会へ来られている姿、また日本語だけで行われている礼拝は珍しい」とのこと。この特異な環境にある教会が、主の証しをしていることが広く知られることは、ほんとうに嬉しいことです!また、98歳の姉妹が久々にご出席され、その内容にふさわしく豊かな証しがなされ一同喜びにあふれました!