「忙しすぎる」  ルカの福音書10章38-42節

 この箇所をリビングバイブルで少し拾い読みをして見ます。

「マリヤは座り込んで、イエスの話にじっと聞き入っていました。

一方マルタはてんてこ舞いの忙しさ。ご馳走やおもてなしのことで気を使うことばかりです。とうとうイエスの所に来て文句を言いました。

主イエスは、

『マルタよ、余りにも多くの事に気を使い過ぎている様だね。・・・』」

 

(1)マルタは余りに多忙に過ぎた

 彼女は接待のことによって、心を取り乱し(惑わされ)、悩まされた結果として、短気となり怒り易くなって、女らしさを失ってしまったのです。    

余りに忙しすぎると理性を失うこともあります。

 

 (2)「忙しすぎる」という心から逃れること

その方法は

① 自分の為に時を取る事 (デボーション)

 多くの人は、朝起きるとすぐ顔を洗い、次の用に走ります。

そうした事を改めて朝のひと時、少し早目に起きて祈ること、また瞑想すること

です。静かに目を閉じ、心に浮かぶ考えをメモしてゆくならば、心はゆったりとしてきます。朝その時間が持てない時には日中でも、聖書を読み黙想する時を持つことです。夜は一日を反省し、お詫びいたし、すべてを神にゆだねて休みます。

② 他の人と常に釣り合いを取っていくこと

 私たちは他の人々と共同生活を営んでいますので、余りにも多くの事柄によって心遣いをしているのも事実です。が、最も大切な事、最も善くまた必要であって

欠けてならぬものを忘れているのです。

他の人々と共にものを分け合い楽しい生活を続けること。すなわち他の人のことも考えて、愛し合い、良き隣り人となって生きてゆくことです。

自分の苛立ちを他人に当たらないように。

③ 常に「神と共にいる」という心を持つこと

 昔の人が言った言葉があります。

「誰であっても、神様と共にいるという意識を持ち得ない者は、神様が望んで

おられる以上に忙しい生涯を送っているのである」 

この言葉はまさにその通りです。

この雑然として、やかましく多忙すぎるという現代にあって、神様が共におられるという確信を持って、時も持ち物も自分自身さえも、最も有益に持ち得るようにしましょう。

忙しいと言う漢字は、「心が亡びる」と書くのですから。

 

 

 

    日曜礼拝

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日本語による「聖書」のお話です。聖書に興味のある方、神様をお知りになりたい方、交わりを求めておられる方、

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サンパウロ新聞

の取材を受けました!

 2013/04/21 

↓こちらからどうぞ

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/13121/cat/105

取材目的についてお尋ねしたところ、「お年をめされた方々が、昔からの信仰を持ち続け、今もなお喜んで教会へ来られている姿、また日本語だけで行われている礼拝は珍しい」とのこと。この特異な環境にある教会が、主の証しをしていることが広く知られることは、ほんとうに嬉しいことです!また、98歳の姉妹が久々にご出席され、その内容にふさわしく豊かな証しがなされ一同喜びにあふれました!